KASKR-1 1929 (Amodel \2、050 2012/03/31)                                  リストに戻る
 
 
本機はソ連初のオートジャイロで「クラースヌィイ・インジェネール」(「赤い技術者」)と名付けられました。設計者はニコラーイ・イーリイチ・カーモフとニコラーイ・キリーロヴィチ・スクルジーンスキイによってなされ1929年9月25日の初飛行は操縦者イヴァーン・ヴァシーリエヴィチ・ミヘーエフ、後部座席にはカーモフ本人が乗り込みましたが飛行継続時間は、せいぜい80秒でした。

機体は、国産の軽多目的複葉機であるU-1((AVRO 504K)をもとに開発)のものが利用されました。
イギリスのアヴロ(シエルバ)製C.8(Avro / Cierva C.8)から寸法、特性、機体設計を全面的に参考しましたが、設計者たちは大きな困難や不測の事態に出会いこれらの問題はすぐには解決できないということを学びました。

同年12月には転覆事故を起こしましたが、その後も開発は続けられKASKRグループには、ノヴォチェルカッスク工業大学の学生であったミハイール・レオーンチエヴィチ・ミーリも見習いとして参加していました。彼は、その後カーモフが開設したカーモフ設計局とともにソ連を代表するヘリコプター設計局となったミーリ設計局(日本ではミル設計局として知られる)の開設者となりました。
KASKR-1は成功作とはなりませんでしたが、その後のソ連のヘリコプター史の礎となった機体となりました。

初飛行:1929年 
回転翼直径:12.00 m 全長:8.80 m 空虚重量:750 kg 最大離陸重量:950 kg 発動機:M-2(М-2) レシプロエンジン ×1
出力:120 馬力 最高速度:90 km/h 航続距離:15 - 25 m 乗員:1 名
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