厳島神社 廻廊その他



 ここが神社の入り口、左の建物が受付で正面が回廊の入り口です。

廻廊(国宝)
構造
東廻廊  折曲り延長45間 一重、切妻造、桧皮葺
西廻廊  折曲り延長62間 一重、東端切妻造、西端唐破風造、桧皮葺   
 廻廊の客(まろうど)神社祓殿のところから平舞台 楽房方面の写真です。このくらいの水位が通常の満潮時です。
廻廊から鳥居を見る一番美しいポイントはここだと思います。管弦祭当日にはここで江波船が巧みな操船で三回転します。右の建物が客神社祓殿、左側奥が右楽房です。
廻廊の特徴

 社殿には珍しく寝殿造風の濃い建物で当初から廻廊と呼ばれているようです。
 構造上珍しいのは化粧天井の垂木と棟木の収まりです。普通は棟木の上に垂木が乗りますが、廻廊の場合垂木が棟木を持ち上げるような構造になっています。このことによって棟木の見える部分が少なくなってさらに垂木の間隔、小舞の間隔も広いので軽快な感じがします。しかし軸部から下は社殿並の重厚な感じのする建物です。(写真は隅部なのでちょっとわかりづらいですが・・・。)床は波の圧力を逃がすために目透かしになっています。
朝座屋(国指定重要文化財)

構造 
 桁行8間、梁間4間、軒付一重、右側面切妻造、左側面入母屋造、桧皮葺。
用途 
 祭事の前に準備を整えるために使われた施設と伝えられています。記録上最初に登場するのは仁安3年(1186)ですが当初は桧皮葺き、慶安元年に柿葺きに変更、明治41年(1908)に桧皮葺きに復元されました。鎌倉時代に一度焼失しています。
揚水橋(国指定重要文化財)

 「あげみずばし」と読みます。造営は修理記録などからも不明で度重なる山津波などの影響で何度も形が変わっているらしいです。
 形式は「桟の間」と呼ばれ東側高欄、中の間が張り出しここだけ高欄の高さも高くなっています。水を汲むための構造で、大潮の満潮時ここから潮を組み上げる儀式があったとされます。

内侍橋(国宝)

構造
桁行1間、梁間1間切妻造、桧皮葺

 「ないじばし」と読みます。厳島神社拝殿の左右に直接回廊に渡るための橋で本社拝殿の附(つけたり)として国宝建造物になっています。記録としての創建時期は不明で歴任2年(1239)には原型と思われる記述があるそうです。桧皮葺に瓦棟です。
平舞台(国宝)
構造  露台造、目透、流板張(南北)、素木造。
東西の長さ 150尺1寸(板張最長)
南北の長さ 140尺5寸2分(廻廊から)火焼前(ひたさき先端まで)
床の勾配  7寸  200坪60
面積 約618?+43?(火焼前部)本社祓殿前には高舞台(写真左)があり鳥居に向かって左に左楽房、左門客神社、右に右楽房、右門客神社が配置されます。厳島神社社殿を寝殿造の住宅とすると寝殿前の広庭が平舞台と本社祓殿に相当します。束柱には褐色の赤間石が使われ(239本)毛利元就の寄進と言われています。管弦祭前に組み立てられた御座船をつなぐためにも使われます。
高舞台(国宝)

構造  正面、背面3間、側面4間、和様、総漆塗、階段、床素木造。

 本社祓殿前の平舞台上にあります。黒漆の基壇に朱塗の高欄で前後に階段があります。幅17尺1寸、、奥行き21尺で小ぶりです。記録では原型形態は冶承元年(1177)ですが、それ以前は組み立て式だったと考えられています。元和9年(1628)にはじめて「高舞台」という記述が見られます。平舞台とは関係なく海底から花崗岩の束石を立てあります。ここで厳島神社に伝わる舞楽が演じられます。写真の擬宝珠の刻印には天文15年(1546)6月とあります。
高舞台横から大鳥居方向を望む。

 この写真は秋の大潮の満潮時で火焼前(ひたさき)部分は完全に浮き上がってぷかぷかしています。右の建物が右客神社覆屋で内部に右客神社があります。
左右楽房(国宝)

構造
桁行5間、梁間2間、一重、切妻造、桧皮葺、南面平入、丹塗。

 厳島神社郡のなかで直線的な屋根を持つのは楽房と左右門客神社覆屋だけです。本来仮設的なものを恒久的に設置した例外のようです。写真は右楽房ですが内側に当たる部分の腰板が少し低くなっています。これは楽人が座って演奏するときに反対側の楽房の人とアイコンタクトを取る為と思われます。管弦祭の時は準備のために右楽房と客神社祓殿は阿賀の人、左楽房は倉橋の人が使うことになっています。高潮の被害に何度もあっており明治17年には床上41cm、昭和19年には56cmまで上がったそうです。
左右門客神社(国宝)

構造
 本殿 1間社流造(店棚造)とち葺。
 覆屋 桁行2間、梁間2間、一重、切妻造、桧皮葺、瓦棟、南面平入。(覆屋は指定外)

 「かどまろうどじんじゃ」と読みます。平舞台の前方、火焼前をはさんで東西にあり、東が右門客神社(みぎかどまろうどじんじゃ)、西は左門客神社です。本殿は妻飾りに左右の違いがり右は大瓶束、左は蛙股の違いがあります。覆屋の無い時代もあったようで、風雨にさらされる両社は常に修理を施しているようです。

長橋(国指定重要文化財)

規模
渡り(桁行)110尺7寸7分
巾(梁間)10尺

 「ながはし」と読みます。鎌倉時代には今より長い28間だったようで、この場所は何度も山津波の被害にあい1600年ごろには今の規模になったと考えられています。最近では昭和20年の枕崎台風による山津波の土砂は長橋を跡形もなく壊し、天神社、能舞台、廻廊、本社本殿にも大きな被害を出しました。大国神社から本社本殿、後園西に沿って陸地と繋いでいますが用途は不明です。
反橋(国指定重要文化財)

構造
擬宝珠高欄付、丹塗

 「そりばし」と読みます。西廻廊を左に天神社、右に能舞台を見て進むと廻廊の曲がり角に左に陸地に向けてかかっています。構造的には室町時代の工法が見られる橋として貴重です。用途ははっきりしていませんが、現在は結界が張られ通行することは出来ません。
廻廊(国宝)

 西廻廊西端で唐破風になっています。拝観順路では出口になります。ここを出ると御手洗川沿いに左に曲がると右手にお土産屋さんが並びます。ほぼ正面に宝物館、その奥に進むと歴史民俗資料館、水族館方面、斜め左に曲がると「大聖院」、弥山への登山道、斜め右手に大願時があります。右に曲がると西松原に行けます。