今回のミニ観光は2つの目的で出かけました。ひとつは愛媛県大三島の「大山祇神社」を見ること(出来れば注連縄の謎を解明)、もうひとつの目的は尾道の「多賀皇神社」にある珍しい注連縄を見ることです。添付1枚目 雨上がりの正面で、「二の鳥居」です。「一の鳥居」は宮浦の海岸にあるそうですが、そちらは見ていません。現在の鳥居は寛文元年(1661)松山藩主松平定長によって奉納されたもので、御影石高さ26尺1寸(約7910mm)、巾15尺8寸(約4788mm)です。 境内に入ると広く、全面綺麗に掃き清められてほとんど足跡もありません。非常に神聖な場所であるという印象を受けました。添付2枚目 御桟敷殿(おさじきでん)です。木造(素木)、入母屋(銅版葺)で、現在のものは昭和55年の新築です。大山祇神社古来の重要な祭典「御田植祭」「抜穂祭」を行う場所です。添付3枚目 鳥居をくぐり正面に進むと「神門」とそれに伴う「回廊」が見えます。いずれも素木、神門は桧皮葺、回廊は銅版葺です。 現在の神門は昭和31年の改修で左右に脇門を付け加え、同時に正面の石橋の拡幅工事を行ったものです。
では、境内を写真のあるもので順に・・・・添付1枚目、2枚目 境内に入ると左側に社務所と斎館との間に大きな楠木の株があります。「能因法師雨乞いの楠」(天然記念物)と呼ばれる樹齢3000年の老木です。大山祇神社は村上水軍の信仰でも知られますが、島では船の用材である楠木を大切にしてきたそうです。 古代は全島にわたって楠が覆っていたそうです。楠は町の木にも指定されています。添付3枚目 この楠の裏手にある神社で「宇迦神社(うがじんじゃ)」です。拝殿と本殿の間には小さな池があります。この神社では本社の大祭に先立ち、大祭期間中(旧暦4月15日〜21日)の好天を祈る祈願祭が行われます。古来から祈雨、祈晴の霊験あらたかな神社として信仰されてるとのことです。
境内を奥に進むと神門の手前左右にある建物です。添付1枚目 神門に向かって右側、「手水舎(ちょうずしゃ)」です。見てのとおりお清めの水ですが、元々は拝殿前にあったものを昭和3年移築し、同時に瓦葺から銅版葺に変更したたものだそうです。 柱は転びが強く安定した印象を受けます。添付2枚目、3枚目 神門に向かって左側、「十七神社」です。入母屋造の「諸山祇神社」と切妻長棟造の「十六神社」が一体となったもので、17間(17けん)あり屋根は桧皮葺です。 慶安五年(1652)松山藩主松平定行の改装で江戸の建築ですが室町時代の様式です。watanabeさま>当事は宮浦港一帯には祭り旗のついた船がひしめきあっていました。 神社の規模からしても、相当派手なお祭りでしょうねぇ・・・・ゆっくりと言っても2時間ほどですので、そんなに詳しくは見てないんです。注連縄のこともありますし、次回はもっと早起きして耕三寺とセットで見に行きたいと思っています。(実は今回の第一目的は尾道でしたので・・・)出来ればおっしゃるように温泉で休んで帰りたいです。
watanabeさま 残念ながら神門をくぐるのは次回です(笑)。もうしばらくお待ちください。こんな神聖な場所で結婚式を挙げられよかったですね。 境内の掃除が行き届いてるだけでなく、やはり空気が違うと感じますよ。添付1枚目 「祓殿神社」「伊予國総社」「葛城神社」の三社が合祀されています。拝殿は平成4年の新築です。添付2枚目 「小千命(おちのみこと)御手植の楠」と呼ばれます。大山祇神を招請した祭神の子孫、小千命が植えたものと伝えられています。 樹齢2600年で「御神木」とされていますが、大山祇神後鎮座前からこの楠を信仰する習慣があったようで、その歴史は紀元前に遡ります。添付3枚目 「神門」「回廊」です。「神門」は桧皮葺、「回廊」は銅版一文字葺でいずれも素木です。松山藩主松平定長が寛文元年(1661)現在の位置に建立したものです。 注連縄は少し変わった形ですし左元左綯いで出雲大社と同じ方向です。
watanabeさま>御神木の楠は雷が落ちてあの空洞のある形になりそれでも今なお生き続けている・・・・・ そうでしょうね、恐らく雷で頂部は折れてしまったのではないかと・・大木の割りに高さがないですよね。 注連縄の謎は深まるばかり・・・・・ですね(笑)添付1枚目 「神門」の詳細です。斗の比例などは江戸時代の形ですが、板蛙股を用いてるところなどは古い形ですね。また蛙股には神紋の彫刻があります。紋は「隅入折敷の中に三」ですね。 本殿、拝殿、神門と微妙に紋が違うようですが明確な区別はなかったようです。また数字の「三」は三島明神からの由来のようです。添付2枚目 神門正面の拝殿(写真右より)と「下津社(しもつやしろ)拝所」(写真左よりの丹塗りの建物)です。 拝殿奥には本殿、その両側に下津社、上津社がありそれぞれにお参りするために設けられているようです。添付3枚目 拝殿向拝部です。拝殿は素木の切妻、桧皮葺で唐破風の向拝を持ちます。記録によると元亨2年(1378)兵火に遭い、天授4年(1378)再建されたとありますが、向拝斗などから応永34年(1427)のお墨書きが見つかっているようです。
添付1枚目 回廊詳細です。桁を支える肘木が桁の巾より広いのです。普通は桁の方が広いのですが・・・・こんな収まりは初めてみました。(黄緑の円内)添付2枚目、3枚目 2枚目が「大山祇神社本殿」(重文)と摂社「上津社(かみつやしろ)」です。本殿は三間社流れ造、丹塗りで桧皮葺です。もちろん大山積神が祭神です。 本殿に向かって右側が「上津社」(県指定重文)でこちらも規模は小さいですが本殿と同じく三間社流れ造、丹塗りで桧皮葺です。祭神は「大雷神」と「姫神」です。 3枚目が本殿左側の「下津社(しもつやしろ)」です。構造は字で書けば上津社と同じですがこちらのほうがシンプルです。正面に小庇があるので簡単に見分けられます。祭神は「高龗神(こうれいしん?)」「姫神」です。
watanabeさま うううう・・・そうすると、ある時期までは綯い方が逆だったと言うことになると、近年何らかの事情で今の綯い方に変更になったと考えるのが自然ですね。 いくら素人が綯うと言っても、あんな目立つものを間違いに気付かないはずないですからね。写真のUPを楽しみにしています。今度こそ現地で解決を・・・(笑)。>北門・南門の格子の隙間からがんばったショットでしょうか?(笑)。回廊にある拝所のことを「北門・南門」とも言うんですね?そのとおりで格子の間にレンズを突っ込んで、神主さんの目を盗んで(笑)撮りました。添付1枚目 大山祇神社本殿と厳島神社本殿がよく似てるので簡単に比較してみました。 大山祇神社は流れ造なので正面側の屋根が伸びて長いです。内部は見えないのですがこの一段低いところには建具がないようです。 厳島神社の妻側は対象です。しかし厳島神社には拝殿との間に幣殿があるので大山祇神社神社のこの部分はそれに相当するのかも知れません。 両社とも全体的には平安時代を色濃くあらわしています。屋根の形も鶴が舞い降りたかのような優雅な姿をしています。懸魚の形もよく似ていますが、これは鎌倉時代の形のようです。 両流れの出会う場所は大山祇神社では角張っているのに対して厳島神社では丸くなっています(他に例を見たことがない)。添付2枚目 境内裏側(下津社側)の写真です。玉垣の周りには浅いですが掘がありなんとも優雅な感じがします。添付3枚目 「姫子邑神社(ひめこむらじんじゃ)」です。玉垣の外、本殿真裏に位置します。流れ造、丹塗り、銅版葺で蛸殿と呼ばれる覆屋に入っています。三社いずれも昭和54年に建て替えたものです。 祭神は「木花開那姫命」「火々出見命」「火須勢理命」でいずれも大山積神の御子神であることから「若宮」と神社古図にあるそうですが、土地の人は「さんじゃさん」と呼び「安産守護」として拝んでいるようです。
大山祇神社はこれで(写真は)終わりです。添付1枚目 「御鉾神社(おほこじんじゃ)」と写真奥の「八重垣神社」と「酒殿」です。「御鉾神社」は近年改装したようで手持ちの資料では瓦葺となっていますが、現在は銅版葺、腰壁も違います。 祭神は過去には幾度か移動があったようですが(最高6柱合祀)「御鉾大神」です。 「八重垣神社」一間社流れ造、丹塗り、桧皮葺で祭神は「スサノオノミコト」です。「酒殿」は銅版葺で妻入りになっており「大山積神」が祭神です。*神社名は「大山祇」と表し、祭神は「大山積」と表しています。添付2枚目 手前(写真左)から「石神社(いし)」「稲荷神社」「地神社」「院内荒(いんないこう)神社」です。各社とも一間社流れ造、丹塗り、銅板葺で昭和56年に立て替えたものですが「石神社」はこのときが創建です。石神社は珍しい石、美しい石を供えると皮膚病に霊験ありとされています。地神社は境内の地主神、院内荒神社はい神饌調理の神様とのことです。添付3枚目 「神輿(みこし)庫」です。平成9年3月新築、校倉造、入母屋銅板葺。産須奈祭、御田植祭、抜穂祭の神輿渡御で使用される神輿を収蔵する場です。昭和29年それまで使用してきた神輿が県重文に指定されたため新たに三基を新調したため新旧6基の神輿が収蔵されています。
大山祇神社を見終わってから国宝館(添付1枚目)と海事博物館(添付2枚目)に廻ってみました。 国宝館には多数の日本刀、鎧などがありなかなか見ごたえがありました。鞘の螺鈿細工は見事なものでした(撮影禁止)。 海事博物館・・・世界中の鉱物の標本が沢山並んでいました。が・・・私にはイマイチ・・・・(笑)。 添付3枚目は西瀬戸自動車道通称「しまなみ海道」にかかる「多々羅大橋」です。 斜張橋としては世界一で全長1480mで広島県と愛媛県の県境に架かります。これで愛媛県をあとに・・・・尾道に向かいました。
さて、今回の本来の目的は尾道「西国寺」内にある多賀皇神社の注連縄なのですが・・順に・・西国寺は真言宗西国寺派の総本山。尾道市街、愛宕山の山腹に大伽藍が広がっています。尾道市最大のお寺です。 境内は3段になっているイメージです。、1段目に仁王門、持善院、多賀皇神社と金剛院、2段目に金堂や鐘楼、3段目に本堂や庫裏、そして裏山に三重塔が建ってます。 添付1枚目、2枚目 「仁王門」(県重文)正面です。室町末期建立となっています。様式は折衷様で上層の高さが低いので少しバランスが悪いと思いますが、背景の山(愛宕山)を意識してこのようになったのかもしれません。添付3枚目 仁王門左右の仁王像前には長さ2m近い「大草履」があります。健脚を願っての奉納らしいです。大きなものから小さなものまで絵馬のようにかけてあります。
watanabeさま>仁王門を抜けると確か長〜い石段があるんですよね。詳しいですねぇ・・・昔のデートコースだったのでしょうか?マッサージ室のお○さん@幕張 出張お疲れ様です。帰ってからゆっくりでいいですよ(笑)。添付1枚目 さて、仁王門をくぐると右手にあるのが「金剛院(こんごういん)」です。正面の建物内部には金毘羅大権現の眷属のカラス天狗の大きなのが天井からこちらをにらみつけています。 拝殿横にはお茶目(赤線内)な案内板があります。添付2枚目 本殿床下にある「重軽天狗(おもかるてんぐ)」です。おもかるさんとも呼ばれる石造の三体の天狗面、、「願い叶えば軽々と持ち上がり、願い叶わなければ重々と上がらず」と伝えられている。 実際に持ってみましたが、3体とも軽々と(笑)もてましたが、これで願い事は叶うのでしょうか(笑)・・・何を願ったかは「ひ・み・つ」です。添付3枚目 「十王堂」です。仁王門を入り金堂や本堂に上がる階段の左側にあります。
いよいよ、今回の小旅行の本当の目的地「多賀皇神社(たがこうじんじゃ)」です。添付1枚目 写真左側が「多賀皇神社」、右が塔頭(たっちゅう)の持善院(じぜんいん)です。*塔頭(たっちゅう)とは大きな寺の境内に付属する子院のことです、ちなみに前回の金剛院も塔頭です。添付2枚目、3枚目 これが見たくてここまで来ました。竹で作った龍の注連縄です。昨年までは普通の藁で綯った注連縄だったそうですが、注連縄用の藁が手に入りにくくなり、綯える人も少なくなってきたので、もっと耐久性のあるものが出来ないだろうか・・・と言うことで「竹」を使ってみたそうです。 原料の竹は竹の産地「竹原市」にお願いして調達、細工は竹原の竹職人にお願いしたそうです。うろこの数も3000以上あるそうです。職人さんもこのような龍を竹で作ったことがないとかで、試作をかさねこのような姿になったそうです。目がお茶目で可愛いです。しかし耐久性を高めるためか、ウレタン塗装?が施してありました(ちょっと残念)。 お腹は本当に蛇腹になっていました(笑)。
watanabeさま、マッサージ室のお○さん 注連縄症候群・・・(笑)。実は私もこの注連縄?どっちが「元」なのか考えちゃいましたが、考えるのはやめにしました。私は単に頭部を上座に向けたのではないかと考えています。 多賀皇神社のある高さから100段以上の階段(添付1枚目)を上ると正面に「金堂」(重文)があります(添付2枚目)。本瓦葺、和用で軒の反りが軽快な感じです。 上りきって右手には「袴腰鐘楼」(添付3枚目)があります。奥に見える建物は庫裏です。
金堂左手には「英霊殿」鳥居の奥が護国神社(添付1枚目)です(その隣の神社は不明)。「英霊殿」は戦没者の英霊が祭ってあるようです。 英霊殿前から本堂のある方向です(添付2枚目)。渡り廊下(階段)の先は「大師堂」です。 この階段で本堂のある高さの敷地に向かいます(添付3枚目)。
マッサージ室のお○さん >以前に載っていた巨大な鬼瓦のお寺ですね?!その通りです。あの時はお寺の名前を忘れていました(笑)。腰は大丈夫でしたが、足はパンパンになりました(爆)。運動不足です・・・・添付1枚目 写真右から「本堂」「不動堂」「毘沙門天堂」です。写真左端に写っている屋根は「大師堂」のものです。本堂裏には「三重塔(重文)」が見えます。添付2枚目 正面が「大師堂」その右が「弁天堂」です。この石畳は「お百度参り」する時の通路のようです。「大師堂」右側が「弁天堂」、写真中央の不動明王の銅像は「不動堂」のほぼ正面になります。添付3枚目 唐破風の本堂玄関です。
マッサージ室のお○さん>金堂はあっさり、すっきりした様子ですが、和様ですか?あ、書き忘れましたね。はいおおむね「和様」です。(ごく一部(大瓶束がある)唐様なので厳密に言えば折衷様) 簡単な見分け方としては、内法長押が柱の外側に回っていれば「和様」かな?と考えます。それから細部を見て折衷様かどうか判断します。と言うことは長押が回っているだけで「唐様」ということはないと言う事です。 和様、唐様(禅宗様)、天竺様(大仏様)が折衷したものがすべて折衷様です。 遠い尾道のことよくご存知ですね。ぜひ一度遊びに来てください。 いよいよ西国寺もこれで終わりです。弁天堂の前を通り、少し上ると「三重塔」(重文)があります(添付1枚目)。和様、三間三重、本瓦葺で永亨元年(1429)足利六代将軍義教により建立された、室町時代初期の建物です。派手な装飾も少なく、部材も太めですこし無骨な感じはしますが綺麗な比例だと思います。 添付2枚目・・・・初層軒裏です。内法長押、板唐戸、尾垂木の形、間斗束、蛇腹支輪、連子(れんじ)窓、肘木の形から「純和様」と言っていいと思います。 添付3枚目・・・・初層の鬼瓦ですが、なんと鬼が「からす天狗」のお面をかぶっているようです。二層、三層ではまた違う形です(写真なし)。
添付1枚目・・・・お昼ご飯を食べずに回っていたので、もうお腹がぺこぺこです。急いで急な階段を・・・・春には桜が綺麗だそうです。西国寺を後にします・・・・ 旅の終わりはいつも・・・(爆)。尾道と言えば「尾道ラーメン」ですよね(笑)。今回は「朱華園」で食べました。魚で取るスープで、豚の背油刻みが入っていて、こってりなのにすっきり系の味・・・すっきりなんですが食後もしばらく味が口に残ります。460円だったかな・・・。 もう夕方になってしまいました。夕凪の尾道水道です。対岸は日立造船向島工場です。これで今回の小旅行はおしまいです。
↑シコーキ好きで、、、、、↑〇好きの樽ちゃん江。んで、なんぼになったん?(笑)なの、ど〜でもええか。末永くお幸せにぃ〜! http://members.jcom.home.ne.jp/nonbe/
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今年2回目の宮島参拝です。今回は日頃の運動不足解消?の意味も込めて先日見た大聖院の「奥の院」目指しての山登りです。 幸い天気に恵まれ順調に歩き始めました。コースは「大聖院コース」と呼ばれる大聖院から登るものです。 登り始めるとしばらく行くと「白糸の滝」(添付1枚目)があります。ほぼ同じ場所に「滝宮神社」(添付2枚目)があります。 「滝宮神社」は厳島神社の摂社で規模は小さいながら昭和20年の災害までは幣殿、拝殿を備える神社でした。 しばらく急な石段を登ると急に海が見えます。大聖院を見下ろす形になり、右手に厳島神社、ほぼ正面向こう側に大願時の方向です。 この先はもうほとんど山の中で海が見えなくなります。(添付3枚目)
山登りも中腹に差し掛かると一部石畳が現れます(添付1枚目)。その途中に「白髭神社」「満願地蔵尊」があります。(添付2枚目) 「満願地蔵尊」は地蔵様とはいえ「素盞鳴神」「大国神」「猿田彦神」守護と書いてあります。 「白髭神社」は琵琶湖の白髭神社の末社なんでしょうか・・・・・ さらにのぼり山頂の少し手前に「仁王門」跡があります。(添付3枚目)以前の台風で倒壊していまだに復旧されていません。普通に山頂に向かうにはここを通りますが、今回の目的は「奥の院」ですので、ここを左に見て少し下ります。
山頂近くの仁王門跡からしばらく急な石段を下り、また上り坂になります。門から約20分で「奥の院」に到着です。 まず本堂(添付1枚目)です。建築的にあまり魅力あるものではありませんでした。 本堂前には小さな祠が何棟かありほぼ正面には「お稲荷さん」「不動明王」やお地蔵様を祭ったところがあり、横にも大きなお地蔵様を祭った小さな建物がありました。 添付3枚目は奥の院本堂から弥山山頂を見たもので、これだけの高度差があります。
一応今回目的の「奥の院」は見たのですが、かなりの回数宮島に来ている私もまだまだ見ていない建物が沢山ありますので、仁王門まで戻り弥山山頂に向かいました。 仁王門からしばらく登ると一旦下り坂になるのですが、その下りきったあたりに分かれ道がありそこを右に行くと「御山(みやま)神社」があります(添付1枚目)。 「御山神社」は弥山山頂付近の南西側尾根にあり、南側は断崖です。建物は一間社流造の杮葺で三殿、三棟の並立で、玉垣で囲ってあり厳島神社の末社です。 中央の中央殿(添付2枚目)は左右殿より少し規模が大きいです。 添付3枚目は南側の断崖でこのような巨岩の上に建っています。マッサージ室のお○さん はい仁王門は礎石の状態から言っても、左右に仁王を備える立派な門だったと思います。 昨年までは壊れた部材が積んであったのですが、今回は片付けられていました、その代わり新しい礎石が仮置き?(レベルがめちゃくちゃ)してあったので、本格的に再建の準備をしているのかも知れません。 登山道を歩くと小さな祠やお地蔵さんが沢山あります、気をつけていないと見落とすものも沢山あります。ぜひ一度どうぞ・・・・
先ほどの三叉路まで引き返し、また弥山山頂に向かいます。添付1枚目は「霊火堂」です。2枚目はその内部です。 約1200年もの間、弘法大師来島以来「消えずの火」として守り続けられています。この火は平和公園の「平和の火」の火種にもなっています。 中で沸いているお湯をいただくとご利益があるということでしたが、今回は登山者も多く遠慮しました。 弥山本堂(求聞持堂)・・残念ながら写真撮り忘れ・・・はこの霊火堂と向かい合っています。本来ここの外陣で霊火が焚かれていましたが火災を恐れて、弥山本堂の昭和再建に際して別室として立てられたもので昭和25年のものです。 もう少し歩くと「三鬼堂」(添付3枚目)があります。明治維新以前は一間社流造の神社建築でしたが、明治維新以後はここが御山神社と改称され存続しますが、神仏分離後に寺院建築として新たに作られたもので明治23年建立です。
宮島シリーズどんどん続いていますね!>気をつけていないと見落とすものも沢山あります.ここ入ったです?
三鬼堂前を通り過ぎると、すぐに観音堂、文殊堂(建設年不明)があります。 「観音堂」は観世音菩薩、「文殊堂」は文殊菩薩がお祭りしてあり入試祈願が多いと説明されています。 添付2枚目、3枚目・・・山頂付近には巨岩が露出しています。3枚目の岩の下をくぐるとすぐに山頂です。SINGさん>ここ入ったです?いいえ、入っていません。建築物を中心に見てますのでなお更見落としますね。毎回、目的を絞って行くのでそれ以外は見ないのですが今回は欲張りすぎました。まだまだ見ていない建築物が沢山あります。
watanabeさま 別に観光案内するつもりはないんですよ(笑)。建物が好きで色々回ってるだけですから・・・・・・ 話が前後しますが添付1枚目は「御山神社」の妻です。場所が場所だけに過去に何度も倒壊したり全焼したりで、現在のものは明治13年に建てられたもののようです。 一間社流造り(いっけんやしろながれづくり)で小規模なのですが棟を支える大瓶束(たいへいづか)はご立派(笑)でその両サイドにある「笈形(おいがた)」は室町時代の様式に見えます。全体にくっきりした彫刻になっています。添付2枚目は山頂からの眺望です。この写真ではわかりにくいですが、この日は四国の山々まで見通せました。
山頂でおにぎりを食べて、下山することにしました。もう少し体力に余力があれば「駒ヶ林」を回って変えるつもりでしたが、無理しないことにし、「紅葉谷コース」で下りました。 添付1枚目・・・・ほぼ五合目に空海の使ったと言われる井戸のある「悶伽井堂」があります。 添付2枚目・・・・今年はやはり山に餌が少ないのか紅葉谷公園のすぐ上まで野生の猿が降りてきています。今まではこんな山の下のほうで見ることはありませんでした。 添付3枚目・・・・宮島の老舗旅館「岩惣本店」の玄関です。昔は紅葉谷川の上にも建物がありましたが土石流で流され、現在は川の中には建っていませんが、とても風情のある旅館です。 玄関前の大松明は年末の神事「鎮火祭」で使用したものです。
久々に歩くとお腹がすきます(笑)。今回は厳島神社の裏手にある 芝居茶寮「水羽」というお店に初めて入ってみました。 注文したのは「牡蠣うどん」(¥840)です。ぷりぷりの大きな牡蠣が5個も入ってとても美味しかったです。焼き牡蠣がこの時期1個450円くらいで売っていますので、お得な感じです(笑)。 ここで休憩したので元気よく・・・と思ったのですが、しばらく行くと股関節が痛くなり、桟橋までの遠かったこと・・・・(泣)
「あけましておめでとうございます」スレッドが長くなったのでこちらにしました。添付1枚目 厳島神社の1月2日の夜の風景です。台風被害で痛ましい姿ながらお正月なのでライトアップされています(左楽房がない)。 大聖院や多宝塔もライトアップされています。添付2枚目 表参道内で焼き牡蠣を売ってる風景です。添付3枚目 瀧山水精寺大聖院(たきのやますいしょうじたししょういん)の山門です。ここは弥山山麓の本房山門です。(弥山山頂付近にも境内があります) 大聖院は明治維新の神仏分離までは厳島神社の別当寺でした。仁和寺に属する真言宗の寺院です。
添付1枚目 厳島神社多宝塔です。尾道浄土寺の多宝塔も比較のため揚げています。屋根の反りが違いますが全体の比例はよく似ています。 大きさは下から見上げるよりもそこに行ってみるとずいぶん小さい印象でした。国宝で鎌倉末期の浄土寺多宝塔は高さ20.5m、こちらは約15mです。沿革は結構複雑です。調べてみると・・・現存のものは・・1523年(大永3年)建立(本尊:薬師如来)1868年(明治元年)神仏分離令により、本尊を大願時に移し、金毘羅神社に祭られていた加藤清正を多宝塔に移す。1880年(明治13年)宝山神社と改称1918年(大正7年)祭神は豊国神社(千畳閣)に移され厳島神社付属の多宝塔となる。とありますので、大聖院とは直接関係ないようです。敷地も大聖院に近いのですが、同じ境内という感じはしません。どちらかというと大願時に近いです。添付2枚目 外観はごく一部を除き「和様」です(長押の形態から)。上層隅の挿し肘木が大仏様、下層隅柱の上部に拳鼻があるのが禅宗様だけです。 垂木や柱などは浄土寺同様、大面取りになって全体に優しい感じになっています。添付3枚目 厳島神社「客神社(まろうど)」ですが、台風により玉垣が完全に倒壊、流出しています。全体に大きな被害で写真を撮る気にもなれません。復旧には数年かかると思います。★焼き牡蠣 そうですねぇ・・外で焼くときは一斗缶やドラム缶などでダイナミックに焼きますが、家庭では大変なことになるのでフライパンで蓋を閉めて焼くのがいいでしょうね。うちでもそうしています。年末年始でずいぶん食べました(笑)。
添付1枚目 大聖院入り口の「仁王門」(昭和14年)木組みです。添付2枚目 仁王門をくぐるとすぐに100段くらいの石段があります。両側には可愛いお坊さんの石像が並びます。石段を登りきる手前左側に「鐘楼」(昭和9年)があります。上りきると「御成門」(大正3年再建)です。添付3枚目 「御成門」をくぐると右手に「観音堂」(現在の本堂)があります。大聖院は明治20年12月の火災でほとんどを消失し、その後順次建て替えたものです。現在の本堂は元々、厳島神社の背後に建っていましたが、明治維新の神仏分離で破却され昭和7年に上棟したものです。ご本尊は「十一面観世音菩薩像」です。
添付1枚目 大聖院の全景(もっともこのカメラでは収まりきりませんが)です。「勅願堂」は鳥羽天皇の勅願により建立されたもので明治43年に起工再建されたものです。本来は本堂に相当するものらしいです。現在のご本尊は「不動明王」添付2枚目 「八角万福堂」(昭和56年)です。文字通り八角形の平面形です。出入り口を除く7面の壁にはそれぞれ、七福神がお祭りしてあります。 そのほか大聖院には大師堂(御影堂(みえどう)1817年)、摩尼殿(昭和51年)等、多数の建築物があります。さらに弥山(宮島最高峰)山頂近くにも「奥の院」として何棟か散在しています。
マッサージ室のお○さん>なんていえばいいのかしら・・・ 総称では「支輪(しりん)」と言います。浄土寺のおっしゃる部分は「菱支輪」その上部の平行の部材がならんでいるところは「蛇腹支輪」と言います。他にも「板支輪」「輪違支輪」などがあります。 構造上は意味がありませんが組み物で出来る本体との隙間を隠すものだと思えばいいと思います。>石段の両脇の石像も、1つ1つゆっくり時間をかけて眺めてみたいなぁ....どうぞどうぞ(笑)、厳島神社を出て大聖院まで歩く間に、美味しい穴子飯のお店が1軒ありますよ。 こちらにいらっしゃるときはぜひどうぞ(笑)。かなり偏った観光ガイドになると思いますが・・・・(爆)。添付1枚目、2枚目 大聖院・・・まだ建物の名前がわかりません。添付3枚目 手ぶれで申し訳ないのですが、ライトアップされた厳島神社の大鳥居です。
watanabeさま 今年は年末の雪で帰省できずに残念でしたね。おかげで大山祇神社の注連縄の謎はさきおくりになりましたが、それはそれで楽しみが残っていいです(笑)。 さて、今年は橿原神宮にお参りされたんですね。本殿は、安政2年京都御所に建造されたものを明治23年に移築し、神武天皇をお祭りしている神社ですね。 本殿と幣殿は完全に離れているようですね。時代の新しいものにしては内拝殿、外拝殿ともに立派なようで、チャンスがあればここにも一度行ってみたいと思うところですね。 参拝者が少なく三脚を立ててゆっくり撮影できたのはよかったですね。私のほうは初詣としてのお見せできるような写真が今のところありませんがとりあえず・・・・1枚目・・・宮島の桟橋を出てすぐの表参道の入り口です。2枚目・・・台風で壊れた「客神社 祓殿」この様子では復旧には数年かかると思います。
TARUちゃん、厳島神社ってさぁ、今まで何回も被害にあってるやん。ヒマな時にスペア作って山くりぬいたドームに格納しといたらどやろ?(笑)
watanabeさんのところで、TARUさんが、お誘いして下さったので、図々しいわたしは、来ちゃいました。わたしの父は、一時広島の市内に住んでいたことがあります。原爆の落ちた時も、直ぐ傍にいました。まだ、生きていますけど。(笑)TARUさんのBBSは、ぺぱみんと、同じ形式の投稿方法のようなので、厚かましく、出させて頂きますね。
謹賀新年元気ですか。私は、帰省せず今日も会社です。おかげさまで忙しい毎日です。今日チェックしたら3等賞だったですね。おめでとうございます。今年は元旦に明治神宮に参拝してきました。参道からから本殿まですごい列で大渋滞。午後4時半に入って並んでから出たのは6時でした。今年もよろしくお願いします。PS.12/6に羽田から福岡に飛んでますょ。第二ターミナルみたよ。